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何時も書き込み、有り難う御座います。
>296.JR久留里線祇園駅を、拝見し、既視感(デジャ-ビュ)を、覚えます。
>私の原体験に、記憶が、在るのでしょうか。
>駅は、物悲しくを、辛く感じさせるのは、年老いていってるからかも。
駅というところは人の人生の分岐点でもあります。
駅舎の外観には写らない人生の重みを纏っているところだと思います。
だからこそ、駅にこだわって写真を撮っていきたいと思っています。
>旅立ち嬉しさよりは、後にする寂寥感が、なせる技なのかも。
>故郷訛りを、聞きたくて、ステーションに赴くと、記した
>石川啄木?か、誰だったか、記憶が、明確で無いのですが、
>そのようなフレーズを、記憶してます。
「ふるさとの 訛なつかし 停車場の
人ごみの中に そを 聴きにゆく」
確かに石川啄木の唄にあり、
この唄の中で唄われた上野停車場−現・上野駅の下のホームに歌碑があります。
http://www.asahi-net.or.jp/~ez9t-sn/
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